先日、パラリンピックの観戦について、児童や生徒の学校連携の観戦のみ認めるとの決定がされました。
それに対して、コロナの感染者が多い中で、子どもたちがパラリンピックを観戦するのは、リスクがあるのではないかと、否定的な意見もありました。
僕は、リスクを考慮するのも大事だと思いますが、それ以上に、パラリンピックを通して、子どもたちに障がいのある人たちのことを知ってもらう方が大切だと思います。
パラリンピック組織委員会も、共生社会に必要なことなので、学校観戦を認めたと述べていましたが、本当にその通りだと思います。
この数十年で、障がい者が暮らしやすくなるような制度やサービスが整ってきました。
それによって、共生社会に近づきつつありますが、まだ実現には遠いと思うのです。
共生社会とは、障がい者が自分らしく生きられる社会であると同時に、障がい者と健常者が互いに理解し合って、障がい者が特別扱いされるのではなく、当たり前にそこにいて、健常者との隔たりがなく暮らせる社会だと僕は考えています。
そういった社会が実現する為には、健常者の方が、障がい者と接して、理解する必要があります。
でも、身近に障がいのある人がいないと、なかなか接する機会はないですし、現在は、コロナ禍ということもあって、尚更接する機会がありません。
僕が言っている、障がい者と接するというのは、直接会うだけではなく、ありのままの姿の障がい者を知るという意味合いもあります。
テレビ番組で障がい者を取り上げることがありますが、大抵の場合は、悲しい過去があったんですといった感じで、感動を誘うような番組構成になっています。
それは、ありのままの姿ではないです。
ありのままの姿とは、実際に生活している、または、何かにチャレンジしている、そのままの障がい者の姿です。
そこには、障がいによる辛さを乗り越えて、現在進行形で、日々を過ごしている障がい者のリアルがあります。
障がいを知ってもらう為に、過去辛かったことや悲しかったことを伝える必要もあります。でも、何よりも健常者の方に知ってもらうべきなのは、今を楽しんで、自分にできることにチャレンジして生きていることです。
パラリンピックが、ありのままの姿で、チャレンジしている選手たちの活躍を知ることができる、絶好の機会です。
だからこそ、皆さんにパラリンピックを観てほしいです。
特に、未来ある子どもたちに観てもらえたら、障がい者を受け入れることができ、理解し合って生きていくことが当たり前になっていくのではないでしょうか。
現在、こうして、日本で開催されているパラリンピックが、共生社会に向けての足がかりになることを願ってます。
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