【健常者の方に読んでほしい】障害者は、可哀想な存在ではないです!

以前から、つくづく感じていることがあります。

障がいを抱えている方の中には、SNSを通じて、情報発信している人もいます。

私は、見ている人が明るくなるような、ポジティブなことを発信しようと心掛けていますが、それとは逆に、自分の大変さばかり発信する人がいます。

勿論、何を発信するかは、個人の自由です。

でも、私個人としては、そういうネガティブな発信を目の当たりにするのは、心がモヤモヤしてしまいます。

ネガティブな言葉自体にもモヤモヤしますが、何よりも、その発信に対する「いいね!」の多さにモヤモヤするのです。

「いいね!」が欲しいから、言っているのではありません。

普段の日常的な発信には、反応が少ないのに、大変さをアピールするような発信には、「いいね!」が多くついている…。

『障がい者は可哀想』という考えの人が多いんだなと感じます。

障がい者がネガティブ発言すると、寄ってたかって、「ぐすん、障がいがあると可哀想(泣)」と言わんばかりに、チヤホヤしている様を見ると、正直気持ち悪いです。

これは、テレビ番組やドラマが生み出した、負の産物と言えるでしょう。

いわゆる、『感動ポルノ』というものです。

『感動ポルノ』とは、障がい者の可哀想な面ばかり取り上げて、視聴者の感動を煽るコンテンツです。

そこには、障がいを抱える人の、実際の生活の中にあるリアリティはほとんどなく、いかに視聴者を感動させ、お金を儲けるかという、下衆な考えしかないです。

多くの人が、子供の頃から『感動ポルノ』に触れ、『障がい者は可哀想』と思うのが、当たり前になっています。

これでは、日本の障がい者福祉は、前進しません。

『障がい者は可哀想』と思う人が多い → 一部の障がい者が図に乗って、可哀想アピールする → 「あぁ、やっぱり可哀想だ」と同情する → 「可哀想アピールすれば、同情してくれるから良いわ!もっとアピールしよ」 → 一層、『障がい者は可哀想』と思う人が増える → 以下、ループ

こんな風に、いつまで経っても、障がい者は可哀想なままです。

そもそも、可哀想って考えることで、隔たりが生じてるんです。

可哀想と思うのと同時に、障がい者に対して、自分とは関係のない遠い存在のように感じてしまっています。

仮に、自分の家族が障がいを負ったとしたら、同情よりも、支えようという気持ちが上回ると思います。
だから、もっと家族の障がいのことを理解しようとか、考えると思います。

でも、他人の障がい者に対しては、そうは思わないですよね。障がい者を可哀想と思う限り。

極端な例ですが、テレビで同情するだけ同情しておいて、実際に街で困っているのを見かけたら、知らんぷり。

他人だと、なかなか声かけづらいのもありますが、結局、可哀想止まりなのと、自分には関係ないと考えるだけで、それ以上の「助けよう」にまで至っていないのかなと思います。

助けることを強要する気は一切ないですが、健常者・障がいを抱える人が、ともに理解し合い、支え合える社会になって、お互いの隔たりがなくなってほしいです。

その為には、まず、『障がい者は可哀想』という考えを取っ払う必要があります。

障がいを抱える人は、障がい者である前に一人の人間です。
たまたま、障がいを抱えているだけで、健常者と変わりありません。

障がいによる大変さもありますが、大変なことばかりではなく、喜怒哀楽の様々な気持ちの中で生きています。

それは、健常な人も変わらないのではないですか。

健常者も、日々生きる中で、大変なこともありながら、喜怒哀楽を感じて過ごしていると思います。

そう考えると、障がいを抱える人は、可哀想でもなく、遠い存在でもなく、身近に生きている一人の人間だと分かりますよね!

だからこそ、困っている時はお互い様!
「可哀想な」ではなく、共に支え合って生きていく、大切なブラザーですよ!

冒頭の話に戻りますが、ネガティブな情報発信をしてしまうのは、生きている以上は仕方ないことですし、絶対に駄目だとは言いません。

でも、そればかりなのは、やめた方がいいと思います。

我々、障がい者が、障がいを抱えていても、希望・可能性があることを発信し、『決して、可哀想な存在ではない』と、多くの人に理解してもらいましょう!

ネガティブな言葉を使っても、最後はポジティブな言葉で締めませんか?!

障がい者福祉の発展には、我々、障がい者自身の行動にも懸かっているのを、忘れずに、日々を謳歌していきましょう☆

 

コメント

  1.  ポジティブに生きようという呼びかけが力強く伝わり、私の心臓から送り出される血流まで変わるような気がします。
     今日一日を思い返す時、元々外出の用事が無い日でも、目の前に「自粛」という言葉がちらつくと嫌な感じがしますが、落ち着いた自由時間が与えられたなアと感謝で締めくくられれば、いい日だったとなります。
     冬の間バスに乗る機会が増えましたが、「完全に停車するまで席を立たないで」というアナウンスが、いいものだと思えるようになりました。危険防止が目的なのだろうけれど、以前は「モタモタしてないで」とイライラすることが多かったけれど、ゆったりと乗り降り出来ていいと、焦りが無くなりました。
     「可哀想」については、また感想をまとめます。

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