私の挫折とそこから得たもの

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“挫折”は、人生につきものだと思います。

私は中学時代に挫折を味わいました。

周りの人たちとの能力差を徹底的に感じさせられました。

障がいがあることの身体的な部分での差もそうですし、それ以外の勉強や諸活動においても圧倒的に差がありました。

身体的な差なんてあって当然のことなので、あまり気にしていませんが、勉強や諸活動(主に絵を描くこと)のような、障がいあるなしに関係なく出来ることの差を感じたのは辛かったです。当時の私は、自分の手を使って文字を書いたり、絵を描けたりできていました。そこの部分は、健常な人とは変わりなかったので、余計に辛いものがありました。

勉強においては、熱心に勉強していなかった私も私だったのですが、クラスの大半の人が全ての教科で当たり前に80点以上取っていて、それでいて「点数悪かった」とか言っているのを60点そこらしか取れていない私が聞くと、やるせない気分になりました。

私は暗記モノが得意で、歴史のテストでは80点以上取れていましたが、それでもその点数を上回る人はいるわけで…。

自分が得意なことでも勝てなかったら、もうお終いです。勝ち負けを競うために勉強しているのではないですが、それでも辛いですね。

もう一つ、大きな差を感じたのが、絵を描くことです。

私は中学時代、美術部に所属していました。

放課後は、部活で模写やスケッチをよくしていました。

私は模写に関しては、とても得意な方だという自負がありました。

しかし、部活内に同級生の女の人たちがいたのですが、その人たちが凄まじく絵を描くのが上手く、漫画の模写から風景画のようなものまで何でも描けてしまうのです。

その上手さを見せつけられてしまうと、自分が描く絵などカスみたいに思えてならなかったです。

文化祭で、美術部として作品を展示していましたが、同級生の人たちのとてつもない傑作と、私の絵が並ぶと圧倒的な壁を感じました。

しかも、その同級生の人たちは捻くれた人もいて、顧問の先生に反抗的だったので、余計に嫌な感じがしました。

以上が、私が経験した挫折です。

が、挫折を味わったことで、良かった面もあります。

それは、“(能力的に)上には上がいる”と分かったことで、自分が上にいるなどという傲慢な思い上がりをしなくなったことです。

私は高校時代、特別支援学校(養護学校)に属していましたが、そこには思い上がっている障がい者が結構いたように思えます。

私の持論ですが、小学生の時から高校卒業まで、ずっと特別支援学校にいると、ただでさえも生徒数が少ないところなので、その中でも普通に勉強できる人たちはかなり絞られてきます(知的障がいや重症心身障がいの人もいる為)。

そうなると、少しでも勉強などが他の人たちよりも出来るだけで、自分は優れていると思い込んでしまうのです。

狭い世界で番長気分になっても、外の世界にはもっと優れている人は幾らでもいます。

そんな事も知らないで、社会に出ている傲慢な障がい者は大勢いるのではないでしょうか。

私はそんな変な障がい者にならずに済んでいると思うので、そう考えると、挫折を経験できたことは、私の現在の人間性を築くのに必要な経験だったのだと思います。

“挫折”はできれば経験したくはない苦いものですが、経験することで人間的に良い方向に変われるきっかけになることもあります。

暗黒の中学時代よ、ありがとう!!これからは、笑って生きてってやるさ!!

それでは!

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