【当事者が説明します】デュシェンヌ型筋ジストロフィーの概要

皆さん、いかがお過ごしですか。zawa94です。

今回は、私が抱えている病気、“デュシェンヌ型筋ジストロフィー”の概要と、大まかな進行の仕方について説明していきます。

デュシェンヌ型筋ジストロフィーの概要

“筋ジストロフィー” とは、全身の筋肉が徐々に衰えていく病気です。その中でも、病気の発症時期や進行の仕方などによって、様々な種類に分けられています。

私が抱えている、“デュシェンヌ型筋ジストロフィー(Duchenne muscular dystrophy, DMD)”(以下、DMDと略す)は、“筋ジストロフィー” の中でも、最重度と言われています。発症の時期・進行のスピードがとても早いのです。
そして、何よりも “DMD” の一番の特徴として挙げられるのは、男児にしか発症しないという点です。

病気の原因としては、遺伝子の中の筋肉をつくり出す部分が、何らかの異常で壊れてしまうそうです。X染色体が短いので、男児のみの発症になってしまいます。以前は、20歳前後で呼吸不全・心不全で亡くなってしまう病気だったそうですが、現在では、医療の進歩もあり、人工呼吸器を使用することで、延命が可能になりました。20代後半〜40歳以上でも生きている方はバリバリいらっしゃいます!

呼吸不全と言いましたが、“DMD” による全身の筋肉の衰えには、体の内部の臓器も含まれます。臓器にも筋肉はあるので、それが衰えてくると肺や心臓などの機能が低下します。その為、今の私(25歳)は、肺の呼吸する筋力が弱まってきたので、人工呼吸器なしでは生きていけません。ドラマとかで見るような、大きい人工呼吸器を思い浮かべる方もいらっしゃると思いますが、現在は在宅で使う用のコンパクトな人工呼吸器があるんです。

根本的な治療法は、まだ見つかっていませんが、近年では研究も進んできているそうなので、治せる日が来てほしいですね!

病気の進行について

次に、“DMD” の進行の仕方について、私個人のケースを交えながら、書いていきたいと思います。

生後~小学校入学まで

まず、生後間もなくの時には、“DMD” であることは分かりませんでした。見た目には健常な子と変わらなかったからです。私が、“DMD” と診断されたのは、2,3歳の時でした。歩くのが他の子より遅かったり、歩き方が少し変だったりしたので、母が病院に連れて行ったところ、“DMD” だということが判明しました。とは言っても、上記の症状以外には、他に症状もなく、歩くことはできていましたし、介助を必要とすることもなかったです。自分の身の回りのことは1人でできていました。健常な子とあまり変わらない生活をしていました。なので、私はよく1人で外に出て、近所の子どもたちと遊んでいました。家にいることの方が少なかったくらいです。小学1年生くらいまでは、目に見えて、症状が進行することはなかったです。

小学校時代

しかし、小学2年生の時に、1人で歩行するのが難しくなり、誰かの手に掴まりながらでないと、歩けなくなりました。小学3年生になると、掴まり歩きもできなくなり、車椅子に乗るようになりました。最初は、自分の手で車椅子を漕いでいましたが、“DMD” が進行するにつれて、腕の筋力も低下するので、私は小学5年生の時から電動車椅子に乗るようになりました。その頃には、1人では着替えることも、トイレに行くこともできなくなり、身の回りのことは全て母にやってもらっていました。ただ、食事や鉛筆で文字を書く等の手先の動作は、高校・大学の頃まで1人でできていました。

小学校6年生の時には、“脊椎側弯症” になりました。背骨が曲がってきてしまう病気です。健常な人でも原因不明でなってしまうそうですが、“DMD” を抱える人は、筋力の低下によって身体の姿勢が悪くなりやすいので、“脊椎側弯症” になる可能性が高くなると思われます。背骨が曲がったままで放っておくと、身体の成長とともに背骨の曲がりが大きくなっていき、肺などの臓器を圧迫してしまいます。また、人の骨は15歳以降になると成長が止まり、固くなるのですが、そうなってしまったら曲がった骨を矯正して真っ直ぐにするのは無理です。なので、私は、骨が成長途中でまだ柔らかい状態の12歳の時に、背骨を矯正する手術を受けました。背骨に直接矯正ボルトを取り付けて、曲がらないように固定しました。おかげさまで背骨は真っ直ぐになり、友達から「姿勢めっちゃ良くなったね!」と、好評価をもらいました。この時から、私のサイボーグ化計画は始まっていたようです。

中学~高校にかけて

中学から高校にかけては、“DMD” がその時以上に進行することはなかったのですが、中学時代は周りの同級生との関わり方が上手くいかず、私にとっての暗黒時代といえます。そのことについても、いつか触れていきたいと思います。高校時代に関しては、良いことも悪いこともあり、私の人生が変わっていった大切な時期でした。“DMD” としっかり向き合った時期でもあります。そのきっかけとなったのが、高校3年生の時に肺炎にかかったことです。

高校3年生~現在

始業式の日に入院

私は、高校3年生の始業式の日に肺炎を発症し、入院しました。始業式の数日前から風邪を引いていたのですが、それが悪化し、肺炎になってしまいました。風邪を引いたときには痰が出ます。咳き込む力があれば、自力で痰を吐き出すことができますが、私の場合は、“DMD” の進行によって肺の筋力が衰え、肺活量が少なくなったので、咳き込む力が弱くなっていました。その為、痰を出せなくなり、気管に痰が溜まった結果、肺炎になりました。

入院当初は、軽い肺炎だからすぐに退院できると言われていましたが、その2日後、急に呼吸困難になりました。陸にいながら溺れたかのような状態になり、全く呼吸できなかったです。私はすぐに麻酔で眠らされ、集中治療室に運ばれました。想定外のことだったので、母とも連絡が取れず、医師の判断で気管挿管をし、人工呼吸器をつけることになりました。その間、私は眠っていたので、何が起きているのか分からなかったです。目が覚めると、口の中に人工呼吸器の太い管が入っていました。自発呼吸ができていなかったので、人工呼吸器から直接肺に空気を送り込むために、挿管しました。結局、呼吸困難になった原因はよく分かりませんでした。挿管していたので、口から食事を摂ることはできず、鼻に管を通して、経管栄養を入れていました。

その状態で2週間くらい過ごしていましたが、長い期間挿管したままでは気管粘膜が傷つき、よくないということで、気管切開することになりました。「ここにきて、手術を受けるのか…」とかなり滅入ったのを思い出します。気管切開は、気管とその上部の皮膚(喉)を切開して、その部分に気管カニューレを挿入することです。全身麻酔をして手術を受けましたが、術後は案の定具合が悪くなって大変でした。また、喉に気管カニューレを挿入していたので、体がそれを異物と認識しているためなのか、毎日痰が多くて大変でした。体調もなかなか優れない日が続きましたが、回復してくると、車椅子に座ることもできるようになり、恩師から貸りた漫画を読めるまでになりました。

集中治療室に1ヶ月間いましたが、普通病棟に移れることになりました。しかし、相変わらず、口から食事を摂ることはできませんでした。1ヶ月も口から何も食べていなかったので、嚥下の力が低下したからです。普通病棟に移ってからは、再び口から食事が摂れるように、毎日嚥下のリハビリをしました。また、その時の私は、常に人工呼吸器をつけていないと自発呼吸ができない状態だったので、自発呼吸をできるように、人工呼吸器を外す時間を設け、徐々にその時間を長くしていきました。その結果、人工呼吸器なしでも、自発呼吸をできるまでに回復しました。3ヶ月間、その病院の普通病棟で過ごしましたが、筋ジストロフィーの専門の病院でもう少し療養した方がいいと言うことで、専門の病院に転院することになりました。嚥下機能に関しては、転院前にはペースト状のものを食べられるまでには回復しましたが、固形食を食べるまでには至っていませんでした。

専門の病院へ

転院後は、主に嚥下のリハビリをしていました。

リハビリと並行して、人工呼吸器を体に慣らすこともしていました。ここでの人工呼吸器は、転院前の病院でつけていたような完全に自発呼吸の代わりを担うものではなく、あくまで自発呼吸の補助の役目を担うコンパクトな人工呼吸器を指します。当時の私は、呼吸機能に関しては今ほど低下しておらず、日中も夜間も人工呼吸器なしで過ごしていました。しかし、体内の酸素濃度が、私が睡眠している時に極端に低くなっていることが分かりました。やはり、病気が進行し、少しずつ呼吸する力が弱くなっていました。人間は呼吸をすることで酸素を取り込み、体内に溜まった二酸化炭素を外に排出しますが、“DMD” を抱える人の場合は、呼吸筋が弱くなることで、酸素と二酸化炭素の循環がうまくいかなくなり、体内に取り込む酸素量は減るのに、二酸化炭素は排出できずに溜まっていく一方なのです。そうなると、酸欠気味による頭痛が起きたり、脈拍が早くなることで心臓に負担がかかったりします。なので、人工呼吸器を使用し、呼吸を補助することで、体に悪影響を及ぼす二酸化炭素を排出し、できるだけ臓器などに負担をかけないようにすることが大切です。当時は、そこまで人工呼吸器の必要性を理解していなかった私ですが、専門の医師が言っているんだから、つけた方がいいんだろうなぁ〜と何となく思っていました。

半年近く、筋ジストロフィー専門の病院に入院していましたが、その間に、嚥下機能はすっかり元通りに回復し、人工呼吸器にも慣れてバッチリつけられるようになりました。また、同じ病気の方たちの姿を見て、色々と考えることがありましたし、病気の受容もすることができました。ここで考えたことや思ったことは、以下の記事に書いています。是非、ご覧下さい。

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在宅生活へ

私は、高校3年生の始業式の日に入院しましたが、翌年の1月に無事に筋ジストロフィー専門の病院を退院することができました。気管切開したことや、人工呼吸器を使用し始めたこともあり、在宅生活に戻るのが少し不安でしたが、訪問介護・看護のサービスを利用することになったので、安心して自宅に戻れました。学校にも復帰しました。しかし、入院前と比べて、食べる量が大幅に減ったので、体重もかなり落ちました。その為、免疫力が下がり、何回も肺炎になってしまいました。幸い、気管切開をしていたので、肺に痰が溜まることはなく、重症化はしませんでした。主治医の先生からは、胃ろうを造設して、栄養をしっかり摂って体重を増やした方がいいと言われました。そうしたら、肺炎にもなりにくくなるだろうということです。胃ろうから栄養を入れるよりも、口からしっかり食事を摂った方が圧倒的に健康には良いので、母は反対していましたが、体調面のことを鑑みて、胃ろうを造設することにしました。口から食事を摂りながら、補助的な栄養を摂るときに胃ろうを使いました。ところが、胃ろうから栄養を入れるとかなり気持ち悪くなるので、それに耐えられず、結局、補助的な栄養も口から摂るようになってしまいました。胃ろうは使わないものの、私が体調を崩して、口から食べられない時のことを考え、いざとなったら使えるように、胃ろうのチューブを詰まらせないために、毎日OS-1を通していました。そんな感じで、胃ろうはほぼ使っていなかったのですが、何故か肺炎にはあまりかからなくなりました。なので、胃ろうは無理に造設しなくても、胃ろうから入れるような補助栄養食を口から摂取していれば、大丈夫なパターンもあるようです(笑)

胃ろうの記事もありますので、是非読んでください。

【医療的なケア】胃ろうについて~栄養編~
私は現在25歳ですが、19歳の時に胃ろう造設手術を受けました。 胃ろうを造った理由は、その頃から口から摂取する食事量が減っていたので、体重の低下を防ぐ為に、胃ろうから栄養を入れた方がいいと主治医...

現在まで

高校を卒業し、大学にも進学しました。大学時代には、冬に音楽ライブに行って、風邪菌をもらって肺炎になるというアホエピソードなど、笑えるようで笑えない大変な時もありましたが、何とか健康に過ごせています。人工呼吸器にプラスして、酸素を入れる機械も使うようになりました。その方が、体内に入る酸素の量がより増えて、体の負担を少なくできます。また、人工呼吸器も夜間だけでなく、日中ほとんど使うようになりました。ベッドで寝ながら使用する時は、今まで通り、鼻マスクをつけていますが、座位の時には、マウスピース型のもの(口で咥えて、人工呼吸器から送られてくる空気を吸う)を使っています。現在は、病気の進行は感じないですね。もう行くところまで行ったと思います(笑)

最後に

いかがでしたか。デュシェンヌ型筋ジストロフィーについて、分かりやすく伝わったでしょうか。分かりにくい部分がありましたら、ご気軽にコメントを下さい。私のお答えできる範囲で答えます。また、進行の流れは、あくまでも私個人のケースなので、当事者さんによっては個人差があると思います。ご了承ください。この記事が、少しでも当事者さんたちの病気の受容の手助けになってくれたらと思います。そして、その当事者さんたちのご家族や支援者の方たちにとっても、病気の理解に繋がるものになってほしいです。最後に一つだけお伝えしたいことがあります。デュシェンヌ型筋ジストロフィーによって、目を背けたくなるような辛い現実に直面することがあると思います。しかし、これだけは忘れないでください。辛いことを乗り越えた先にあるのは、楽しいハッピーな日々です。それは間違いありません。私だって、今まで散々辛い経験をしましたが、現在は “一人暮らし” という最高に胸躍る日々を送っています。だから、自分の境遇を悲観しないで。幸せな日々を掴むために、共に生きましょう!!

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